双極キャリアの歩き方

双極性障害でも仕事やプライベートで色んなことをしてみたい!体調を崩してもめげずに道なき道を進みます。

これは躁なんじゃないか

妙に仕事が進む。1カ月以上塩漬けにしていた業務が片付く。新システムの使用方法について、イントラネットから資料を探し、担当者にこの資料を今でもマニュアルとして使用していいか確認し、よいと言われたので自部署の人に共有する。正味1時間。

 

でも、ずっと手を付けられなかった。そもそもシステムが苦手なのでこの件について考えるのが嫌。イントラネットをどういうキーワードで検索していいのか思いつかない。そのきっかけになりそうな過去のメールや資料を探すのも億劫。担当者には私の仕事が遅くて以前だいぶ迷惑をかけたから問い合わせをするのに気後れ。自部署の人にいつまでにこの確認作業をすればいいのか聞く必要があるけれど、聞くと自分が次のアクションをしないといけないので先延ばしにしたい。すべてのステップがゆううつ。

 

過去メールの検索が億劫になったら結構なうつ状態に差し掛かっている。前日に自分が出したメールを見返すのすら気が重く、目の前の人の話を聞きながら「あれ、昨日私は何て頼んだからこの人はこの仕事をしてくれたんだろう」と思ったりする。でも、自分の脳のどこかにある記憶の引き出しや、メールボックスからその答えを引っ張り出す作業すらできない。頭が泥に沈みかかっているような状態で、何かを思い出したり関連付けたりする作業には結構エネルギーがいるんだなと思う。私の実感としては、うつ状態は気分の落ち込みより、脳や身体の機能低下に強く表れる。

 

先月は結構うつっぽかったのかな、と振り返りつつ、返す刀で別のことを気にしないといけない。そんなに面倒だった仕事が片付くなんて、躁っぽくなってるんじゃない?調子が良くなっても手放しで喜べないのが双極性障害である。

 

GW明けなのに妙に仕事がはかどっている。面倒だけど1時間ぐらい手を付けるか、と思った仕事が1時間で完了してしまった。これはあやしい。大人数あてのメールを何通も出しているのも危ない。大人数あてメールでは大抵、ちょっと大きな仕事の結果を知らせている。ちょっと大きな仕事が一日にいくつも片付くというのはペースがあがっている証拠だ。そして何といっても、予期せぬ質問の答えを短時間で見つけ始めたらまずい。

 

仕事では自分の全く関知していないことを突然聞かれるものだ。そういうときに、「え、そんなこと私に聞くなよ」と思いつつ調べてみるとすぐ回答を発見したり、聞くべき人がわかったり、解決策を出すアイデアがつぎつぎと浮かんで来たらやばい。しかも正解が続いたら、ここで手を打たないと思考が止まらなくなってしまう。

 

回答を見つければ、仕事は一つ先に進む。先に進めばまた次の質問が生じる。答えれば答えるほど仕事は進んで広がって、自分では止められなくなってしまう。そしてある日心身ともにショートして強制退場してしまう。だから躁は怖い。はっと気づくと木から降りられなくなった猫のようになっている。

 

自制できなくなっているから早々に帰宅する。その最善の策が私にはなかなかできなかった。目先の仕事への責任感もあるし、仕事がどんどん進むのは快感だ。そして、こういう方法でしか仕事はこなせないと思っていた。薬で躁状態を抑えたら、もう成果を上げることはなくなってしまうと落ち込んでいた時期もあった。

 

でも体調を崩しては回復し、を繰り返して気づいたのは、躁にならなくても、快感を味わえるほどスムーズには仕事が進まなくても、成果は出せるいうことだった。自分がスローに6割くらいしかできなくても、残りをほかの人がやってくれたり、そもそもやらずに済んだりして、しかも自分の成果として認められたりする。だったら勝手に張り切って燃え尽きるより、自分がもどかしくてもスローにフラットに働く方がお互いにいいんですね、とようやく異なる働き方を受け入れつつある。そして、実際ずいぶん楽になった。みんな足りないところを補完しながら働いているんだなと気づいた。

 

もちろん仕事の渦中にいると、締め切りを守れなかったり、ろくな資料が作れなかったりすると自責の念にさいなまれる。でも、スマホのメモに「仕事は6割だけやる」と書いて見返す。私は6割しかできないんじゃなくて、6割だけやるとあえて選択しているんだ。それが長い目で見て自他ともにいいことなんだ、と忘れないように。できない自分を認めないと、できる自分になれない。なかなかに難しいことである。

ここでキャリアは終わったの?

パワハラがきっかけで長く休職したときに、リワークに通っていた。当時の私はうつ状態と言われていて、一緒に参加した人はほぼ全員がうつ病/うつ状態の会社員だった。私はそのリワークに1年も通い、その間にいろいろな人が出入りしていくのを見届けた。パワハラの上司の元に復職しなければならず、なかなか心身の準備ができなかったのだ。

 

精神保健福祉士の先生の指導は私の回復にとても役に立ったと今でも思う。一つ印象的だったのは「皆さんはもう休職前と同じ働き方はできません。仕事以外に自分にとって大切なことはなにか、よく見つめ直してみましょう」といった趣旨の言葉だった。

 

当時の私には「もうキャリアアップは諦めてください。仕事優先の生き方を変えましょう」と言っているように聞こえて何だかもやもやした。大企業の若手サラリーマンが「昇進に執着するのはやめました。これからは家庭優先で生きていきます」などと言ってリワークを卒業していくのをみると、「えっ、えっ、本当にそんなに簡単に価値観変わっちゃったの?」と驚いた。

 

私に上昇志向はないけれど、仕事で新しいことをするのは好きだった。後に離婚をしたくらいなので優先したい家庭はなかった。そして、いくら一生懸命スローライフに憧れても運命の出会い(一生を捧げたいと思えるパンに出会ったんです、とか)などなく、ヨガもアロマも鍼灸も一向に私の中途覚醒を改善させず、「収入は激減しましたが心の満足度はアップ」という境地にたどり着くための何かを見出すことができなかった。「会社員は荷が重すぎるから派遣社員かパートになりたい」と主治医に泣きついていたけれど、退職に踏み切ることができなかった。

 

主治医の「あなたはパワハラを受けた被害者で悪くないのだから自分から辞める必要はない。あなたが辞めるなら、ほかのパワハラで休職した人もみんな退職しないといけないの?」という言葉が私の心には響いた。なんとなく使命を背負うと励みになるのだ。最終的には「こうなったらトラウマ療法だ、あたって砕けろ」と半ばやけ気味にパワハラ上司の元に復職した。

 

その職場で地味に働きながら回復に励み、社内公募で部署異動をし、さらに組織変更で異動した。その間何度も体調を崩し、休職し、双極性障害と診断された。でもこの4年の間に昇進して休職前より責任の重い仕事をしている。「この状態で部下なんて絶対持てません、病状が悪化します」と抵抗はしたけれど、思いがけず部下はかわいくて私のモチベーションになり、一般職で働くよりラクな面もあり、やってみないとわからないことだらけだな、と気づいた。

 

振り返ると「皆さんはもう休職前と同じ働き方はできません。仕事以外に自分にとって大切なことはなにか、よく見つめ直してみましょう」というのは「皆さんはもう長時間残業などの無茶な働き方をすることはできません。自分のプライオリティを考え直しましょう」ということだったのだろうと思う。確かに心身の健康が最優先だということは身に染みた。でも、過労せずに仕事の経験を積み重ね、キャリアを構築していくことを否定することはないと思う。たとえコントロールの難しい双極性障害であっても。

 

もちろん私も今後体調がさらに悪化して今のような働き方はできなくなるかもしれない。会社が私を手放すかもしれない。それでも、今の経験が自分のメモリから完全消去されるわけではない(記憶力は低下しているけれど、それでも)。精神疾患=もう簡単な仕事しかできないと決まったわけではない。もしも「もうキャリアのことなんて考えちゃいけないのかな。未練があるな」ともやもやし続けるのであれば、今いるところから何かちょっとずつ、仕事の経験を広げる方法を模索してもいいんじゃないかなと思う。

 

 

 

人生詰んだとは何がどう詰んだのか

私の実感としては、人生というのはなかなか詰まない。「これで終わった。何もかもだめだ」と思わされた場面には何度か直面したが、あいにく日々の暮らしというのはそんなに簡単には終わらせることができない。何もかも手放して引きこもってしまった方がどんなにか楽だろうと思うけれども、そうした逃げが許されないこともままある。

 

長い休職から復帰して4年になる。その間、何度も体調を崩し、3カ月程再休職もした。初めての休職の時から再三「もう退職させてください。私にこんな責任のある仕事は無理です。もっと楽になりたい。もうだめです」と主治医とカウンセラーに泣きついた。でも、彼らは一度も「そうですね、そんなに体調を崩すなら辞めた方がいいですね」と言わない。「会社が辞めろといわない限り、自分から辞める必要はない」と一貫している。精神疾患で退職する人なんていくらでもいるのに、どうして誰も私に辞めていいって言ってくれないんだろう。どこまでダメになったら許してくれるんだろう。

 

でも、私は主治医もカウンセラーもとても信頼しているので、「私の状態を見て言っているのであろう。致し方ない」と、半泣きで歯を食いしばり、不調の姿のまま、何度も職場に戻っていった。

 

逃げられないとどうなるのか。見苦しい姿を周囲にさらしながら、ただダメな自分のまま同じ場所で生き続けるしかない。体調を崩して倒れこんだ姿をさらした職場に再び戻るのは本当に気後れする。中途半端な仕事の処理を黙ってしてくれた上司に合わせる顔もない。ふがいない私のことを部下はどう思っているのだろうと考えるとやるせない。他部署の人の信頼を完全に失ったな、などと考えるともういてもたってもいられない。このまま辞めてしまって、病人然として社会から離れてしまいたい。離れて同情されたい。

 

でも、恥を忍んで職場に戻るのだ。体調が回復傾向にあるとき、出社という行為自体が病状に悪影響を与えることはあまりなく、気分的なプレッシャーの方が大きいように思う。だけど、私が恐らく双極性障害Ⅱ型のせいもあるが、意外と会社の人は怒っておらず、むしろ心配してくれていたり、フラットに接してくれたりする。

 

「人生が詰んだ」というけれど、それは何がどのように詰んだのか。「人生」とはあまりにもざっくりしている。双極性障害になったことが詰んでいるのか、会社に1カ月出社できなかったことが詰んでいるのか。そしてそれは、本当に詰んでいるのか。何もかも終わったのか。

 

自暴自棄になってちゃぶ台をひっくり返す方が、そのまま恥をさらして耐えるよりも楽なときもある。何もかも終わったのではなく、自分が何もかも終わらせてしまいたいのだ。だけど命がある限り、何もかも終わることはない。自分の頭の中で人生を終わらせてしまうなんてもったいない。

 

仕事を続けていれば楽になるのかというと、全く楽にはならない。驚くことに、働けば働くほど責任は重くなるのだ。「ああもう耐えられない。ドロップアウトしたい」と何度も思うけれども、でも、働いているといい意味でも悪い意味でも、全く新しい経験ができるし、そのダイナミックさはプライベートではなかなか起こりえない。新しいものが好きなのは双極性障害の特徴だろうけれど、そのこと自体が病状を悪化させるのではなく、新しいことがトリガーになって波が激しくなることが問題なのではないだろうか。仕事は苦役、と短絡的に決めつけず、恥をさらすのも新しい経験の一つ、と耐えて続けてみると、意外と道が開けることもある。

 

これからもまだ、「今度こそ無理です、もう続けられません」と泣きつくことはあるだろう。本当に今の仕事は続けられなくなるかもしれない。でも、どんな形であれ、私は醜態をさらしてでも這い上がっていきたい。そしてなにか、新しい景色をみてみたい。

 

 

 

もう海外旅行に行けなくなるなんて信じられない

その年三度目の不調だった。前回体調を崩してから二カ月しかまともに働けなかった。

 

双極性障害には躁とうつの時期がある。私の場合は仕事の勘が冴えてばりばり働ける軽躁の時期と、体がもたなくなるうつの時期に分かれる。気分よりも体に不調が出るのが私の特徴で、仕事をしていても机に突っ伏したくなるし、お風呂の床にへたり込んでシャワーを浴びたり、そして一番悪い時はベッドから上体を起こすことも辛くなる。

 

ちょっと自分でもこの体調の悪さは受け入れがたいものがあるし、単に気分的なものかもしれないし、と腕を立てて頭を上げてみるけれど、ぐわんぐわんしてとても何かをするどころではない。かなり差し迫った体調である。でも、昨年の秋に不調に落ち込んだ時、私は心から「このままでは予約したタイ旅行にはとてもじゃないけれど行けない。というかもう一生海外旅行なんて行ける気がしない。まだ若いのに、行きたいところはたくさんあるのに、こんなことでつまずくなんて信じられない」と悔いた。

 

自分がそこまで海外旅行に執着しているとは、そのときまで気づかなかった。しかし日常生活もままならないような絶不調期にそこまで思うのは相当だな、と心にとめた。もちろんそのときは心にとめるだけである。しかし、うつの底を打って這い上がりながら、私は結構真剣に今後のことを考えた。そもそも仕事が続けられるかどうかというレベルの状態ではある。

 

双極性障害だからといって、ここで諦めてしまっていいのか。せっかく自由になれたと思ったのに、病人然として暮らさなければいけないのか。私は暴力をふるう夫とようやく別れて間もなく、自由な生活に心残りがありすぎた。

 

まだまだ引きこもるには早すぎる、と思った。自分の限界を決めるのはやれることをやってからでもいいのではないか。海外旅行に未練たらたらならば、いつか行けるようにしよう。そのために何とか今の仕事を続ける道を見つけよう。それで体が持たなかったら、その時に次を考えよう。

 

もちろん体調が悪いのに不安でないわけがない。「いよいよ退職するしかないでしょうか」「もう一生海外旅行には行ける気がしません」と、私だって主治医に訴える。でも彼女は前向きで「会社から辞めろと言われない限り自分から辞める必要はない」「そのうち落ち着いたらまた海外に行ける。あちこち移動しないで一か所にとどまっていればいいんじゃない?」と後押しする。

 

じゃあ、と思って私はなんとか会社に戻った。回復しても、日中会社にいるだけで精一杯の日々が続いた。いつも周りが地震のように揺れていて仕事どころではない日も多かった。年末のタイ旅行はキャンセルしたけれど、それでも台湾に行った。そしてゴールデンウィークに念願のタイへ。具合を悪くしながらの旅で、私は何をやっているのかな・・という気持ちもよぎったが、やはり満足感は大きかった。

 

双極性障害だから、遠慮して生きなければいけないのか。もちろん躁うつの波が大きくならないようなコントロールは日々不可欠で、私もかなり慎重に暮らしている。でも、制限のある範囲ならやりたいことをやってもいいんじゃないか。いつ状況が悪くなるかわからないし。

 

海外旅行なんて刺激が強くて生活リズムも崩れて、双極性障害に最も悪いような気もする。けれど主治医はいいと言うし、それに何より、自分が地の底にあっても尚求めていたことなのだった。私は「双極性障害なんだからこういうことをしちゃだめ」「ああいうことをしなきゃだめ」という固定観念にとらわれていたけれど、そんな風に双極性障害を一くくりにして考えるのは雑すぎた。そうか、今の自分は何を自制し何を手に入れられるのか、と考えればいいのだな、と気づいた。本当にやりたかったことを我慢せずにやった経験は心を明るく強くする。その強さを糧に、もう少し前に進んで、もう少しやりたいことをやってみようと思う。