双極キャリアの歩き方

双極性障害でも仕事やプライベートで色んなことをしてみたい!体調を崩してもめげずに道なき道を進みます。

人生詰んだとは何がどう詰んだのか

私の実感としては、人生というのはなかなか詰まない。「これで終わった。何もかもだめだ」と思わされた場面には何度か直面したが、あいにく日々の暮らしというのはそんなに簡単には終わらせることができない。何もかも手放して引きこもってしまった方がどんなにか楽だろうと思うけれども、そうした逃げが許されないこともままある。

 

長い休職から復帰して4年になる。その間、何度も体調を崩し、3カ月程再休職もした。初めての休職の時から再三「もう退職させてください。私にこんな責任のある仕事は無理です。もっと楽になりたい。もうだめです」と主治医とカウンセラーに泣きついた。でも、彼らは一度も「そうですね、そんなに体調を崩すなら辞めた方がいいですね」と言わない。「会社が辞めろといわない限り、自分から辞める必要はない」と一貫している。精神疾患で退職する人なんていくらでもいるのに、どうして誰も私に辞めていいって言ってくれないんだろう。どこまでダメになったら許してくれるんだろう。

 

でも、私は主治医もカウンセラーもとても信頼しているので、「私の状態を見て言っているのであろう。致し方ない」と、半泣きで歯を食いしばり、不調の姿のまま、何度も職場に戻っていった。

 

逃げられないとどうなるのか。見苦しい姿を周囲にさらしながら、ただダメな自分のまま同じ場所で生き続けるしかない。体調を崩して倒れこんだ姿をさらした職場に再び戻るのは本当に気後れする。中途半端な仕事の処理を黙ってしてくれた上司に合わせる顔もない。ふがいない私のことを部下はどう思っているのだろうと考えるとやるせない。他部署の人の信頼を完全に失ったな、などと考えるともういてもたってもいられない。このまま辞めてしまって、病人然として社会から離れてしまいたい。離れて同情されたい。

 

でも、恥を忍んで職場に戻るのだ。体調が回復傾向にあるとき、出社という行為自体が病状に悪影響を与えることはあまりなく、気分的なプレッシャーの方が大きいように思う。だけど、私が恐らく双極性障害Ⅱ型のせいもあるが、意外と会社の人は怒っておらず、むしろ心配してくれていたり、フラットに接してくれたりする。

 

「人生が詰んだ」というけれど、それは何がどのように詰んだのか。「人生」とはあまりにもざっくりしている。双極性障害になったことが詰んでいるのか、会社に1カ月出社できなかったことが詰んでいるのか。そしてそれは、本当に詰んでいるのか。何もかも終わったのか。

 

自暴自棄になってちゃぶ台をひっくり返す方が、そのまま恥をさらして耐えるよりも楽なときもある。何もかも終わったのではなく、自分が何もかも終わらせてしまいたいのだ。だけど命がある限り、何もかも終わることはない。自分の頭の中で人生を終わらせてしまうなんてもったいない。

 

仕事を続けていれば楽になるのかというと、全く楽にはならない。驚くことに、働けば働くほど責任は重くなるのだ。「ああもう耐えられない。ドロップアウトしたい」と何度も思うけれども、でも、働いているといい意味でも悪い意味でも、全く新しい経験ができるし、そのダイナミックさはプライベートではなかなか起こりえない。新しいものが好きなのは双極性障害の特徴だろうけれど、そのこと自体が病状を悪化させるのではなく、新しいことがトリガーになって波が激しくなることが問題なのではないだろうか。仕事は苦役、と短絡的に決めつけず、恥をさらすのも新しい経験の一つ、と耐えて続けてみると、意外と道が開けることもある。

 

これからもまだ、「今度こそ無理です、もう続けられません」と泣きつくことはあるだろう。本当に今の仕事は続けられなくなるかもしれない。でも、どんな形であれ、私は醜態をさらしてでも這い上がっていきたい。そしてなにか、新しい景色をみてみたい。